手話=言語脳の科学【応援寄稿きいろぐみ代表南様より)】

今回、みんなの学会の第一部にてご公演いただく手話パフォーマンス「きいろぐみ」の代表、南さんが寄稿を書いてくださいました。

南さんはきいろぐみの立ち上げメンバーとして、30年間舞台に立ち続けています。いまでこそ手話パフォーマンスの団体はたくさんありますが、南さんが活動を始めた30年前は「手話パフォーマンス」という言葉はほとんど知られていなかったそうです。

30年間、手話という夢を配り続けてきた南さんが、今回のテーマ「手話から学ぶ、伝えるということ」にまさにリンクした思いを書いてくださいました。南さんの手話に対する思いを多くの方に伝えたいです。

「手話 = 言語脳の科学」
手話パフォーマンスきいろぐみ 代表 南 瑠霞(手話パフォーマー/手話通訳士)

(以下、南様より)

手話は、人間の言語脳の豊かさと多様性の証明。これが、私の手話に対する思いです。

 「手話はろう者の大事な言葉」だということは、常々多くの人によって語られ、また、それを学び現在様々な活動をさせていただくとき、私たち自身もそれを実感します。そんな中で、手話という言葉に取り組み、また、手話が一つの芸術ともとらえて、舞台からいかにその魅力を伝えられるかと、私たちは、日々いろんな思いを巡らせています。

今回の企画に参加させていただくにあたり、私が、お伝えしたいこと。それは、手話は、まさに人間の脳科学の証明だということです。

【聞こえなくても、つながりあえる】

 言語は、一般に一定の地域で生まれ、そこに生まれ育つ人、出会う人に伝達され、それがその地域の共通語になります。共通語が親から子へ、友人から友人へ、人から人へと伝えあい用いられれば、ひとつのコミュニティを生み出し、社会が生まれます。その輪に入れば、誰もがたくさんの情報を仲間たちと共有できます。

これが今の全世界の言語のあり方であり、日本語も、また日本国内各地の方言もそのように成り立っています。

手話は、聞こえない人たちの間で生まれ広がり、多くの人が共有し合い、意思や思いの伝達に使われ、人の心のつながりを生み出している点で、音声の言葉と同様の『言語としての働き』を持っていることは明らかです。 私たちは、手話が一つの言語であると認識する時代に入ったのです。

人は、豊かな言語を有した時点から、他の動物たちとは違う歴史をたどり始めた。とは、よく言われますが、手話は、人間が、耳が聞こえなくても、決して言語を手放さなかった証でもあります。手話は私たちに、人間には『聞こえなくても、まったく別の方法で言語を生み出す能力が備えられており、必ず人々がつながりあえること』を、メッセージしてくれているのです。

【手話という言語は脳が秘めた可能性】

 手話は言語

これが多くの人たちに認められていることは現在各自治体の「手話言語条例」が、300を超える勢いとなっていることからもわかります。

手話は、聞こえない人たちの間で生まれた知恵と工夫の結晶であり、時代と共にさらにその構造を豊かにしてきたものです。手話は、人が聞こえを失ってなお、目で見て手で語るという、これまでとは形態の違う言葉を生み出し構築できるという、人知と能力の証明です。これは聞こえない人の力であるとともに、人間が古来から、もともと持っていた脳の力そのものだと私は思います。

人間の言語脳は、実は耳と深く結びついているわけではなく、目や手を使えば、私たちの日ごろ使う日本語、または海外の英語や中国語などと同様に、十分に機能を発揮し、音声言語とは違う形で新たな言葉を生み出す可能性の種を秘めていたのです。

手話は、私たち誰もが持っている「脳」が生み出した言語。手話や聞こえない人々の存在はまさに、私たちの脳の可能性の証であり、私たちすべての人間の希望を示しています。 手話は、言語であり、言葉の科学そのものであり、人類の可能性。脳が秘めた能力自体の、証なのです。 

手話は、言語であり、言葉の科学そのものであり、人類の可能性。脳が秘めた能力自体の、証なのです。

【手話から学ぶ多様性】

 長い歴史の中で、聞こえない人々は、たくさんの偏見や差別にさらされ、少数派であるが故に、様々な誤解を持って見られてきた時代があります。でも、私たちの時代で、物事の見方を変え、それが豊かさに変えられるよう、努力したい

 そう思うとき、聞こえない友人たちは、私たちの人生のお手本であり、少数派がいかに社会の壁に立ち向かうべきかという社会的指針も与えてくれています

 今こそ、多くの聞こえる私たちは、手話と聞こえない人の存在から、学びたい。

手話は人間の言語脳の秘めたる力の証であるとともに、人間がどのような状況からでも新たな言葉を生み出して話して見せるという「多様性の証明」でもあります。これは、人間の言葉に対する、勇気と希望とチャレンジの実証です。

言葉は私たちの命であり情熱であり、出会いを求める声そのもの。

手話は、脳科学という側面から見れば神秘と奇跡と必然と、そして人間の人間たるゆえん。

そんな手話に出会い、取り組ませてもらっていることに、心から感謝します。

 私たちは、手話とろう者の立場から、多くの人に夢を配る集団。手話パフォーマンスきいろぐみ。聞こえるアナタもぜひ、聞こえない人たちの生きる姿から、勇気と希望と、そして手話のアートとしての豊かな夢をお受け取り下さい。

 当日は、皆さんにお会いできることを楽しみにしています。

2020年1月   南 瑠霞
(手話パフォーマー/手話通訳士)